すきわ草子 |
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子どもの味方の怪獣ガメラの血は緑。
赤ちゃんの飲む白いおっぱいは、お母さんの赤い血。 赤。緑。赤。白。赤。 ♪この広い野原いっぱい咲く花をひとつ残らずアナタにあげる♪ 森山良子さんが歌っていたフォークソングです。 思えば昔は、なんと子どもにも分かりやすい言葉をつかった歌が町を流れていたのでしょうか。 思えば昔は、広い野原もありました。 れんげ・しろつめぐさ・たんぽぽで作ったお花の冠と花束。今日は、私は王女さまです。友だちも王女さまです。昨日、私たちは、可愛らしい妖精でした。 この、風を感じながら、おとぎの国を夢みれた広い野原。 今、風を感じない画像で広い野原を作る事は、私にでも出来ます。が…。♪緑の風を感じる広い野原をアナタに、あげたいのです♪ …それでもどうか画像を楽しみにしてくださいね。 赤い花。緑の葉。 この関係は、補色残像現象といい、互いに心理補色の関係でもあります。補色の関係にある色を同時に見ることは、 赤い花の補色である緑が、葉っぱの緑に重なって見え、互いの残像色によって感度が高まり、あざやかさも増して感じるようです。 赤と緑と聞くと、亀好きの私としては、ガメラを思い浮かべます。怪獣映画。怖かったですね。でも、ガメラは子どもの味方です。あるとき、海へと潜る、怪我をしたガメラから、緑の血が流れている画面がありました。 空を飛べる怪獣ガメラ。空を飛べるのは、魔法使いや、黄金バットだけでは、ありませんでした。ここでは、緑の血を持つガメラが、赤い火炎を噴射して飛びます。四方から赤い火炎を噴射しつつ回転して飛ぶ場合と、後脚の部分のみ火炎を噴射して前を向いたまま飛ぶ場合があるようです。 子どもの頃、怪獣映画を見に行くと、夢で怪獣の眼にうなされました。あの頃。映画の画面は、テレビの画面の何倍あった事でしょう? 今。映画のスクリーンは小さくなり、テレビの画面は大きくなり…映画館で、幼い私の驚いた101匹わんちゃんのワンシーン、(わぁ~!ホントに101ぴきいる~!!)と感じたような事は無いようにも思います。 子どもだったから?違うように思います。 豊かな時代でした。 映画を観るには、いっぱい歩いたり、長くバスを待ったり。 苦労した甲斐のある大きなスクリーンでみた、おとぎの国。 現実は、父が選んだ秋田犬。最初は子犬でしたが、直に大きくなりました。父の愛情をかけ、恐ろしい牙を幼い私にだけ向けるのでありました。夢にまで出てきた忠犬であるべき雌犬ハチちゃんは、貰われて行くのでした。 父が、溺愛していたのは愛娘の私でした。 兄も、私が泣くたびに怒られていたのでした。(う・ふ・ふ♪) そのあと、やってきた可愛い子犬は白い犬。 なんと犬嫌いになっていた私を犬好きにしてくれたのです。 そんな愛犬との忘れられない出会いでした。 存在とは恐ろしいものです。そして有難いものです。 そのものの存在によって、大好きと言えたり、夢でもうなされたり…。 人なつっこい白い犬は、年をとり、死んじゃいました。 …愛犬の死と向き合い、悲しくって、もう二度と犬を飼いたくないと言う父におねだりした柴犬。エスは利口な犬でした。兄も私も忙しく、言葉と裏腹で、ちっとも犬と遊びません。ある日、大切にしてくれる人に貰われていきました。 さて、赤、白、緑、と色の話も織り交ぜながら、懐かしい話でした。 新緑から、緑深い季節へと向かうためには、梅雨という季節が必要です。 みどり。 この語は本来、瑞々しさを表す意味であったようです。それが転じて新芽の色を示すようになったといわれるそうです。 英語ではグリーン(green)。これも草(grass)や、育つ(grow)と語源が同じようです。 今日から、6月。 昨日までの五月晴(ごがつばれ)ではなく、五月晴(さつきばれ)の日を楽しみにしたいと思います。 このよくつかう楽。此の字は、振って神をたのしませるのに使った手鈴のようです。病気のときも、これを振って病魔をはらったようです。おそらく巫女さんが手にしている鈴ですね。 ニシキギ。名前の由来は紅葉を錦に例えたことによるそうです。…ガメラ☆。子ども心いっぱいで私の名づけた花の名です♪どうですか(??)♪
by 555sukiwa
| 2009-06-01 14:07
| ピクチャー
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